#05.両親と一度距離を置きました

60歳の両親にゲイをカミングアウトした話
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ということで、
ついに本題へと入ってまいります♪

前回までは、両親以外の、友人や職場の同僚、会社の社長など、
外の社会の、わりと自分の身近な人にカミングアウトしたお話をしました。

おそらく当時の僕は、
カミングアウトする経験を積んで、
「他人にカミングアウトしたらどんな風に思われるんだろう」
っていう経験を積みたかったんだと思います。

そうしていろいろな人たちにカミングアウトする経験を積んで、
ついに!いよいよ!

「ラスボス」です(笑)。

僕が両親にカミングアウトをしたお話に入っていきます。

それなのに!

今回のお話は、
両親と距離を置いたお話です。

もちろん、それには僕なりの理由がありました。
そしてそれは、今振り返っても、
とても意味のある距離だったと思っています。

だけど、これを読んでいるあなたに気を付けてほしいです。
ここに書かれていることは、
「みんなもこうすればいいよ!」という方法論ではありません。
大切なものはみんなそれぞれ違います。
自分の大切なものはなにか、自分をどうしたいのか、
っていう、自分との見つめあった作業の忘備録くらいのつもりで書きました。

皆さんも、
自分をとことん見つめあって、
おもしろい人生を見つけてみてください!

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僕の両親、修治と睦美

ここで、僕がカミングアウトをする両親について、紹介しておこうね。
僕の両親は、同じ町で生まれ育って、同じ小学校、中学校の同級生なんだ。
でも昔から付き合っていたとかそういうことじゃなくて、
お互い大人になってからお見合いしたみたい。
田舎の学校だったからか、お互いの存在は知ってたみたいだけどね。

夕飯時の話題なんかは、よく小学校の時の先生や同級生のことだったり。
でも僕なんかはそんな話ぜんぜん分からないので、
さっさと食べてテレビを見てましたけどね。

僕の父親、修治

僕の父親の名前は、修治。一応、仮名ね。
東北の田舎町出身。
4人兄弟の末っ子で、大工。

新しいものをおもしろがるタイプ

そんなに頑固オヤジっていう感じじゃなくて、
新しい考え方も取り入れようとするところはあるかな。
建築現場でラジオを聴いていることが多くて、
毎日いろんな考え方を耳にしてる。
だからそんなに我が強いわけでもないし、
押しつけがましいところもない。
話をすれば一応耳を傾けてくれるし。

だけど、父親自身が何か新しいことにチャレンジするってなると、
ちょっと躊躇するところはあるかな。

ま、でもそれは誰でも同じか。

僕を不安にさせた放任主義

父親の子育ては「放任主義」って感じ。
なんでも「自分でやってごらん」って言われることが多かった。
大ごとになりそうな時だけ口を出してきたけど
それ以外は、
「小さな怪我ならどんどんやってみろ、そして考えてみろ」
っていう感じ。

叱られもしないし、誉められもしない。
良いとも悪いとも言ってこない。

でも幼いころの僕は
「これって良いのかなぁ、悪いのかなぁ…」
「お父さんは僕のこと、どう思ってるんだろう…」
ってなった。

だから父親の前では自分を出せなかったな。
気持ちも、考えも、感情も、全部封じ込めてた。
だって、どう思われるか怖いんだもん。

大人になった今の僕なら、
父親のこういう子育て、理解できるよ。

子どもの頃の僕には、わかりにくかったんだ。
父親が、僕のことをどう思っているのか、まったくわからなかった。
「相手の気持ちが分からない」って、すっごく不安なんだよね。
心理的にとても怖い存在だった。
常に父親の顔色をうかがってたなぁ。

だから、
父親へのカミングアウトが、
気持ち的には一番ハードルが高かったな。

僕の母親、睦美

母親の名前は睦美。こちらも仮名です(笑)。
修治と同じ小学校・中学校を卒業してから、
服飾の専門学校に進んだみたい。
卒業してから地元で働いて、
それから修治とお見合い結婚して、
一緒に上京。

睦美は10人兄弟の末っ子。
兄弟が多いから、結婚式とかお葬式とかは、
まぁ人がたくさん集まる。

親戚は基本的にみんないい人。
だけどこれだけ人が多いと、中には変な人もいたけどね。
まぁでも、これも自然なことか。

一度そう思い込んだら変わらない

睦美さんはね、
誰かに対するイメージが、睦美さんの中で一度固まっちゃうと、
まぁ、めったなことがない限り、
変わらないですね。

例えば、一度でもマイナスな印象を持った芸能人に対しては、
どんないいエピソードを後から聞いても、
まず、ひっくり返らない。

「年を取ると、人って変わるよねー」も、
「年をとっても、人って変わらないよねー」も、
ある意味ホントだと思うんだよなぁ。
時代を生きていく中で、変わる部分もあれば、変わらない部分もある。

ちなみに睦美さんは、僕のことを、
「真面目で頭が固くて臆病で気難しい」
と思ってる。

確かに僕は、
真面目で頭が固くて臆病で気難しいと思う。
だけど、それだけじゃないよ。
友達とバカ騒ぎすることもあるし、歌って踊り狂うことだってある。

だから、僕がステージに立ってスポットライトを浴びて音楽をやって、
みんなと歌って笑ってるのを見た時、
衝撃だったらしい(笑)。

極度の心配性

睦美さんはね、とても明るくてパワフルなんだけど、
その一方で、とにかく心配性。

僕は、小学生の頃、
隣町のスイミングに通ってた。
4年生までは、必ず母親が一緒にプールまで来て、見学ブースから僕の練習をずっと見てた。
他のお母さんたちはほとんど来ていない。
なんなら、見学ブースに睦美さんだけしかいない日も。
小5になって、やっと来なくなったんだけど、
地元の駅まで送り迎えは必ず。
はずかしかったなぁ(笑)。

また、
僕が高校2年の頃、ホームステイでオーストラリアに行ったんだけど、
まぁ最後の最後まで心配で心配で。
空港の出発ロビーで僕を見送る時の顔ときたら、
もう今生の別れのよう(笑)。

まぁ確かにね、
海外だし、僕が遺体で帰ってくる可能性だってあるよ。
だけどそれを言うなら、日本の生活の中でだってあるもん。
紛争地帯に行くんじゃないんだし。

高校の同級生なんか、睦美さんのことを「過保護ママ」って言ってたから(笑)。

放任主義の父親とは対照的で、
何をするにも口を挟んできて、
僕にとっては「口うるさい母親」でした(笑)。

「これしか愛情の表現の仕方を知らないんだなー」とは思っていました。
心配して息子の行動を制限することでしか、息子を守れない。

だけど、
知恵やパワーをつけさせることでも、
困難から息子を守ることはできますよね。

自然の摂理からすると、親が先に死んでこの世からいなくなるんです。
いずれ、子どもは自力でこの世を生きていかなくてはいけない。
(でも独りの力だけで生きるって意味じゃないよ。みんなと協力し合うことだって大切だからね。)
そして人生を、力強く、そして楽しく、面白く生きていくためには、
「親離れ」「子離れ」が必要。
親が子どもの自転車の後ろをいつまでも押さえている人生では、ダメなんだな。

だから僕が成長するためには、この家庭から飛び出さなきゃいけない。
家族っていう狭いコミュニティの価値観だけでは、
僕のようなゲイの人生を生き抜く術も力も養えない。

両親からの影響

「両親からの影響」って書くと、なんか悪い影響みたいに聞こえるけど、
「良い影響」とか「悪い影響」っていうのはないと思うんだ。
それが良かったか悪かったかは、未来になってからわかることだからね。

当時は嫌だった経験が、
後の人生で大きな意味を成してくることもある。
「あのとき失敗していたから、ここを注意するようなクセがついて、大きく成長した」
なんてことだってあるからね。

逆に、
過去の大きな成功体験が、
後の人生でカッチカチの固定概念を作り上げて視野が狭くなってしまうこともある。
「ああいう曲を作ったら大ヒットした。だから同じような曲をまた作ろう」
と思いこんでしまってヒットしない、なんてこともある。
売れていなかった時代の方が、いろいろ試行錯誤して面白い曲が多かったよねー、とか。

だから親から受けた影響っていうのは、
良くも悪くも、僕次第でどうにでも料理できるってことだと思うんだ。

それを踏まえた上で、考えてみよう。

放任主義は「無条件の愛情」が前提

睦美さんは心配性で、僕がすることなすこと全てに口を挟んできた。
僕のことを愛するがゆえに、僕に壊れてほしくないって思うんだろうね。
「失敗しないように」「傷つかないように」
という守りの姿勢で、僕にアドバイスをしてくれる。
だけどそれは、たいてい否定的な言葉だった。

「怪我しないように」「人に迷惑かけないように」「後ろ指をさされないように」

一方、修治さんは放任主義。
「失敗してもいいから自分で考えてやってみな」

たぶん、過保護な睦美さんとバランスを取ろうとしてそうなったと思う。

実は、放任主義って、
ものすごく難しい教育方法なんです。

子どもを放任する目的って何だと思う?
それは、
自分で生き抜く力、
自分で考える力、
自分で行動する力
を養うことです。

でもね、
自分で生き抜くことって、孤独との闘いなんですよ。
そのガソリンは「無条件の愛情」なんです。
無条件で与えられるゆるぎない愛情があるからこそ、
子どもは孤独に耐えながら生き抜くことができるんです。

自分で考える力と、自分で行動する力って、
自分に自信のある子どもに養われるんです。

自分に自信のない子どもが考えると、
「これで本当にいいのかな・・・。間違えてないかなぁ・・・」
って不安になって、
自分で考えて出した答えが「揺らぐ」んです。
すると、正しく覚えていたことさえ、頭の中で揺らいじゃう。
そして、正しく分析することも、解決すること、難しくなっちゃう。

つまりね、
放任主義っていうのは、
しっかりした大地に、しっかりと根を下ろしている(=無条件の愛情がある)からこそ、
自由に空に向かって枝を伸ばしていく(=自力で生きていく)ことができる。

「失敗しても、僕には帰るところ(家庭)がある。」
どれだけ枝を伸ばしても、目に見えないところで支えてくれる根がある。
だから空っぽの大空でも、純粋に太陽を目指して伸びていけるんですね。

僕は両親から、愛情を受けて育ったと思いますよ。
だけど、子どもの僕には、それが分からなかった。
大人になったら理解できたけどね。
それだって、頭では理解できたけど、
心でもちゃんと分かってるのかなぁ、今の俺。

だけどさ、
そういう子どもって、むしろ大多数なんじゃないかな。

親は、みんな初めて親をやるんだよ。
親は、みんな初心者。
子どもが10才だったら、父親だって母親だって10歳だよ。
10歳なんてまだ選挙権もないし、まだまだサポートが必要なんだ。

初めから上手な親なんていないよ。
どこの家庭にも、子どもが親に思うコトはきっとあって、
それが満たされなかった子どもは、
人生かけてそのテーマを追求していくのかもね。

話はそれちゃったけど、
僕は、修治と睦美に育てられて、
いろんな影響を受けたよ。

それを踏まえて考えてみたんだけど。

もし。もしもだよ。

僕が家庭を持つことができたら、
無条件の愛情に溢れるような、
そして家族を心から信じて、
何があっても、強い味方でいられるような、
そんな家庭にしたいな。

プレッシャーをかけないようにしてるのがプレッシャーになった

さて、修治と睦美の話に戻そうね。

両親は、僕にプレッシャーをかけないようにしているのは、
あらゆるタイミングで感じました。

足の速い「だいちゃん」と、普通の僕を比べることもしなかったし、
頭のいい「みやくん」と、普通の僕を比べることもしなかった。
誠実で真面目な「もやくん」と、嘘つきな僕を比べることもしなかったし、
彼女ができた「つとむくん」と、彼女ができない僕を比べることもしなかった。

まぁでも、
プレッシャーを感じさせないようにしてるってことは、
逆に、そこにこそ真意があるんだろうなーと思った。

だってさ、プレッシャーを感じないようにさせるのって、
そう願ってるからじゃん。

走るのを速くなろうとする息子の邪魔になりたくない、
成績を上げようとする息子の邪魔になりたくない、
誠実になろうとする息子の邪魔になりたくない、
彼女を作ろうとする息子の邪魔になりたくない、
ってことでしょ?

小中学生の僕は、両親からそんな気持ちを感じ取ってた。

プレッシャーをかけない方が、うまくいきやすい。
つまり、
「プレッシャーをかけないから、上手くいってくれ」
って願ってるんじゃん。

それがプレッシャーでした(笑)。
プレッシャーをかけまいとすることは、そう願ってるってことだから、
結局プレッシャーとなって伝わっちゃってましたねー。

今考えると、
息子がやりたいと思うことを邪魔したくないっていう気持ちもあったのかな。
いや、でも当時の僕は、
プレッシャーにならないような気遣い=そう願っている
って思っちゃったなぁ。

まぁ、両親にしたら、
「じゃあどうすりゃいいんだよ」
って思うだろうだけどね(笑)。

逆に、もし僕が誰かの親になったら、
「頭が良くても悪くても、足が速くても遅くても、
お前は俺のラブリーな息子だぜ☆」
って伝えてたかなぁ、毎日(笑)。

結婚のプレッシャー

もちろんそれは、
僕の「結婚」についても同じで。

親戚の同年代の男の子に彼女ができた時も、さりげなく言ってきた。
「○○くん、彼女とスキーに行ってきたんだって」
ってくらい。
ママ友の息子(同級生)が結婚した時もそう。
「あの○○くんが結婚だってー」
ってくらい。

いろいろとプレッシャーをかけないように注意していたのは、
もう、ひしひしと伝わってきました(笑)。

まぁだから、逆にそれだけ強く「結婚してほしい」って思ってたってことだよね。

でもこれって他にも同じことが言えたんだよね。
大工になりたいって「とりあえず」言ってた子ども時代も、
大工にならずに先生を目指すって言った時も、
反対の言葉もなかったし、応援の言葉もなかった。
喜びの言葉もなかったし、励ましの言葉もなかった。
否定の言葉はなかったけど、肯定の言葉もなかった。

たぶん、僕が思うように「人生を好きに生きなさい」ってメッセージだったんだと思う。
まぁこれも「今になってわかること」だけどね。

「プレッシャーをかけない」っていう意識が、
もはや「プレッシャー」になるんだよね。

だからね、俺は思うんだけど、
「プレッシャーをかけないように」って表面的に繕っても、
子どもは分かるんだよ。

表面的に、小手先だけ、うまく見せようとしたってダメ。
ちゃんと、心の底から、
本心で、嘘いつわりなく、
本当にそう思わなきゃ。

とくに家族なんて毎日一緒に過ごすんだし。

だから思ったんだ。
将来、僕の家族になる人とは、
できるだけ正直にいようってね。
ゲイであることを隠して、表と裏の顔を持って、
嘘いつわりで身の回りを固めてきた僕なんだから。

僕の好きな人といる時くらい、
自然な僕で、いたいよ。

そのためには、
自然な僕を磨かなきゃなぁ、って。
どうすればいい男に見えるか、とか、
どうすれば気に入られるか、とか、じゃなく。
中身を磨かなきゃいけないんだな、って思いました。

もちろん僕の中には、汚い部分や卑怯な部分もたくさんあるし、
今まで磨いてきたつもりだけど、
これからも磨いてかなきゃだよね。

修治と睦美のセクシャリティ意識

修治と睦美の、無言の結婚プレッシャー(笑)。
僕はこんな両親と毎日顔を合わせて生活していかなくちゃいけない。

あ、でもね、
誤解のないように言っておきますが、
両親はいい人ですw
僕がゲイだと知らなかったから、こういうことになっていたわけで、
その点においても、やっぱりゲイであることを説明したかったのはありますね。

あ、そうそう、性の話。
これがねー、我が家では、
かんっっっっぜんにタブー(笑)。

テレビドラマとか映画で、キスシーンやベッドシーンがあると、
我が家のお茶の間は、凍り付きます(笑)。
直前に取っていた体勢のまま、全員、

微動だにしません。
動かなくなります。
フリーズです(笑)。

チャンネルを変えようとするもんなら、
逆にそのシーンを意識したっていうことを家族に公言する意味になるので(笑)、
誰もチャンネルすら変えません。

だから、そのシーンが終わるまで、
家族全員で「そんなの気にしてませーん」ってことで、
ただただ耐えてしのぐ(笑)。

ある日、
これは小学校で性教育を受けたとき(小4)の話なんだけど、
学校の保険の先生が、
「精通っていうのは大人になった証拠。おめでたいことなんですよー」
って言ってるのを聞いて、
「へぇー、そうなんだー」
と思った純粋な僕。

小5で精通を迎えた僕は、おおいに喜びまして。
もう全力で!
両親に報告しましたよ(笑)。

「ねー!お父さん!お母さん!僕ね、僕ね、精通したんだよ!」

そしたらふたりとも、
「・・・。」

「ねぇ、お父さん!僕、精通したんだよ!」
って言うと、修治さんは仕方ない感じで、
「ん。」
だけ(笑)。
えー!?なんでそれだけー??って思って、
「ねぇ!お母さん!」って言ったら、
睦美さんなんて聞こえてないフリだからね(笑)。

幼いなりに僕は、
「あー、これは話しちゃいけないことだったんだなー」
って察しました(笑)。

だから、
男である僕が、
「僕は、性的にも、精神的にも、男が好きなんだ」
なんて死んでも言えない。

まぁ、もう言っちゃったけど(笑)。

家族といると疲れる

僕は、家族と毎日いつも顔を合わせているるクセに、
大きな隠し事をしていたわけで。

僕には「ゲイ」という顔がある。
そして、
家族はそのことを誰も知らない。

しかもそれは、
人生を大きく左右する事実。

友達に嘘をついても、
その友達と会わなければ、その苦しみからは解放される。

でも家族に嘘をついても、
家族と会わなければ、解放されるけど、
そういうわけにはいかないからね。

当時は未成年だし、家族に養ってもらわなきゃいけないし。
僕の周りの世界も、家族社会、学校社会、バイト社会、・・・くらい。
子どもの生きる世界って狭い。

そこで僕は、
社会人になって、ある程度の収入が見込めるようになったら、
家を出ようと思った。

家族と距離を置くことは、前向きなこと

よく恋人同士が、
「わたしたち、少し距離を置いた方がいいかもね」
って言うシーン、あるよね。

多くの恋愛経験を持たない僕にとって、
あれはすごくネガティブな発言だとばかり思っていた。

だけど僕から見たら、少し違った。

家族と距離を取ることが、
今後の家族との関係を良くしていくことにつながる。
絶対につながる。

って思ったんだな。
そして、

  • ゲイというレアな人生を生きていくためには、
    家族から離れて、どんどん外の世界を見ていった方が、
    自分の価値観が磨かれて良い。
  • 僕はゲイを治療しようとは思わない。
    (参考:「#01.「ゲイで良かった」って思う日なんて来るわけないだろ」)
    そんな僕の人生を豊かに、そして精神的にも健康的にするためには、
    両親からのプレッシャー(ゲイではない人生を歩ませようとする働きかけ)は、
    プラスに働かない。
  • もっと彼氏とイチャイチャしたい。

という2つの理由(3つ目はどうしたんだよ笑)から、
僕は家を出ることにした。

そして家を出る

当時は、実際にいろんなゲイの人とリアルで会って、
いろんな話をしたり、
様々な価値観を共有したり、
一緒に遊んだり、恋愛話に花を咲かせたりしてた。

「ゲイの人と会ったら、だんだんゲイっぽくなっちゃうんじゃないか」
「ゲイの人と頻繁に会って話してたら、ソッチの考え方に偏っちゃうんじゃないか」
「ゲイの人と一緒に歩いていたら、周りからゲイだって思われるんじゃないか」

っていう偏見も、正直、僕の中にあった。
だけど実際にリアルして話したり遊んだりしていると、
偏見はあっという間に消えていった。

「テレビで見るようなオネエタイプのゲイって、全体から見ると少数派なんだな」
「見た目も話し方も、いたって普通なゲイの方が、圧倒的に多いんだな」
「あー、その気持ちわかる!僕だけじゃなかったんだな」
「僕と同じ境遇の人は思ったよりたくさんいて、みんなそれぞれ考えて乗り越えてるんだな」

というように、少しずつ孤独じゃないんだって、分かっていったんだ。
行動することに勇気が湧いてくるようになった。

「彼氏ができるってなんだか恥ずかしいな」
「男同士でふたりで街を歩くのは、まるでゲイだって公言してるみたいだ」
とか、自分の中でゲイに対する偏見がまだまだあったからね。

なかなか肯定的に捉えるまでに時間がかかっちゃったのも事実。

それに、実際に働いて経済的に生きていけるかどうか不安だったんだ。

この辺の心配性な部分は母親譲りだと思うけど(笑)。

そして僕は27歳で、
ようやく実家を出て一人暮らしを始めた。

両親と距離を置いて変わったこと

やっと家を出て、ひとり暮らしを始めて、
両親と距離を置くようになりました。

母親の過保護から解放されたのが嬉しかったですねー(笑)。
父親からどう思われているんだろうっていう不安な気持ちも、顔を合わせなきゃ平気。

そして、ぜーんぶ自分で考えて、自分で決める。
でもそういう解放感だけじゃなくてね、
両親との関係性が、どんなふうに変わったのか、
考えてみました。

  • たまにしか話さないから、その時にわざわざ攻撃的な言葉を交わさなくなった。
  • たまに話す言葉が、重みを持つようになった。
  • お互い、感情的にならず、冷静になれた。

そうなんですよ、つまりね、
お互いを冷静に分かり合える環境が、
自然と整っていった感じなんです。

両親とはそのままずっと距離を取って、
もうほとんど縁を切るみたいな状態にもなれたんだけど、
親にね、
僕が結婚するのかしないのか分からない状態のまま、
どちらの可能性も感じ続けさせるのは、つらいかなぁ、と思ったんでね。
距離を取ったんだけど、取ったからこそ言っておこうと思いました。

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