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両親へのカミングアウト①~理由~

●ゲイの人向け
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僕が30歳の時、両親にゲイであることをカミングアウトしました。
そもそも両親へのカミングアウトを決意したのは、それなりの理由があったからです。
カミングアウトは、メリットだけじゃなくてデメリットもあります。
だから、カミングアウトすることが必ずしも正解だとは限りません。
カミングアウトをする前も、している最中も、した後も、
どれもとても大切な要素です。

この記事では、まず僕がカミングアウトをしようと思った理由を紹介します。

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両親から結婚を勧められそうだったから

僕の両親は、25歳で結婚、30歳で僕を産んでいます。
25歳での結婚は、今の時代だとちょっと早いけど、
さすがに30歳で結婚しないと、親は本気で心配するだろうなーと思ったんです。

僕の両親は、心配性です。

もしかしたらお見合いの話を持ってくるんじゃないか、とか、
僕の交際について深く首を突っ込んでくるんじゃないか、とか、
思いました。

そうなってから、
ドタバタの中で衝撃的に「バレる」より、
自分の伝えたい言葉を丁寧に選んで、誤解のないようにまっすぐ伝えよう、と、
そう思ったんです。

逃げるのも辛いけど、解決するのも辛い。それなら解決一択。

そもそも親と結婚の話になるのが怖くて、
そして距離を置きたくて一人暮らしを始めたのもありました。
でも、いつまでも逃げていても、問題は解決しないし、
歳を重ねてから、親戚中が「正卯君のお嫁さん候補を探せ~!」みたいなムーブメントになっても困る(笑)。

なんだかんだごまかして生きることもできるけど、それもしんどい。
一方、真正面から問題と向き合って解決するのも、すごくしんどい。

そう考えたらね、
どっちもしんどい、と。

「あ、それなら解決できた方が得じゃん」

って気づいたんです。

これは、夏休みの宿題と一緒ですよね(笑)。
遊んでいたくて、当分の間、宿題は放置します。
それで遊んでるんだけど、頭の隅っこで宿題の影がチラチラ見えて(笑)、
なんか心がザワつく。
そして、ザワついたまま毎日を送って、夏休みの最終週で泣きながらやるのね(笑)。

めっちゃ辛いでしょ?(笑)

どうせ辛いなら、
先に宿題をやっても辛いわけじゃん。
それなら先に宿題をやった方が思いっきり遊べるわけです。

どうせ辛いなら、幸せを選ぼうよ。

女性との結婚は誰も幸せにならない

仮に、ゲイである僕が、
がんばってがんばって女性と結婚しようと努力したとしましょう。

ストレートの男性からしたら、がんばって男性と結婚するのと同じくらいしんどいです(笑)。
だって意味的にそういうことだからね(笑)。

お付き合いする女性にも、嘘をついて生きていかなきゃいけない。
生まれてくる子どもにも、嘘をついて生きていかなきゃいけない。
親も、親戚も、友人も、みんな手放しで喜んでくれるでしょう。

でも、僕はこれ以上ないくらい、辛い。

もし、人がみな平等で、命の重さは比べられないくらい尊いものだというなら、
僕という人間にも幸せになってもらわなくちゃいけません。
僕が誰かを幸せにしたいと思うくらい、僕も幸せになる権利がある。

周りの人だって、
僕の犠牲の上に成り立つ幸せなんて望んでいません。

そして、僕のまわりの人たちは、
僕の「結婚」を祝うんじゃないんです。
僕の「幸せ」を祝うんです。

僕は女性との結婚で「幸せ」にはなりません。
つまり、僕が結婚して「幸せ」に見せることで、
大好きなな家族や仲間たちを、だますことになります。
それはみんなも幸せじゃないし、僕も幸せじゃない。

つまり、
僕が女性と結婚すると、誰も幸せにならないな
と思いました。

それなら、女性と結婚する理由はありません。

※ゲイカップルとレズビアンカップルが結婚して子どもを産むという人がいます。
 僕はそれについては肯定も否定もありません。
 なぜなら、それがその人たちの「幸せのカタチ」だからです。
 僕が僕の幸せのカタチを追い求めるのと同じで、
 彼らも一生懸命考えて悩んで相談して考え直して、
 その末にそういう幸せのカタチを選んでいます。
 僕の判断基準は「幸せかどうか」です。

孫の顔を見せてあげられないから

これも本質的には上のテーマと同じですね。
「孫の顔を見る」というのは、祖父母(この場合は僕の親)にとってこの上なく幸せでしょうね。

でも僕は、
「結婚する」とか「孫の顔を見せる」とか「敬老の日に孫からプレゼントを贈る」とか、
そういう表面的な幸せのカタチだけを追い求めたくはありませんでした。

僕が求めているのは、
「幸せ」です。

ストレートの人の幸せは、結婚やマイホーム購入や子供の成長など、
かなりの部分がテンプレート化されています。
「幸せのカタチ」がもうできあがっている。

でも、ゲイの僕は違います。
世間一般の「幸せのカタチ」が、ゲイである僕の「幸せのカタチ」にあてはまりません。

僕は、僕だけの「幸せのカタチ」を探すんです。

ここで視点を一気に変えますよ。ついてきてくださいね。

今、の「幸せのカタチ」の話をしました。
一方、の「幸せのカタチ」は何でしょう?

息子がゲイです。

息子は世間一般で言う「幸せのカタチ」を手にすることはできません。
では息子の何を見て、親は幸せを感じればいいのでしょう。

それは、
「息子が幸せでいること」です。

ストレートの人にとって、「孫」というのは「幸せのカタチ」です。
僕は「孫」は見せられないけど、
僕の「幸せのカタチ」を見せればいいんだと思いました。

お父さん、お母さん。
僕はゲイとして生まれてきて、ゲイとして生きているけど、
幸せいっぱいに感じて楽しく生きてるぞー!

そういうメッセージを、
いっっっっっっっっっっぱい見せてあげようと(笑)。

ストレートの息子じゃ味わえなかったくらいの幸せを、
いーーーーーーーーっぱい見せるぞ!
「もう幸せすぎて腹いっぱいw」って言われるくらい見せるぞ!!(笑)

だから、僕は幸せになろう。

心の底から強く強く、そう思いました。

親に感謝しているから

僕は、親の失敗作じゃありません(笑)。
いきなり何言ってるんでしょうか、自分(笑)。

でもね、本当にそう思うんです。

確かに同性愛者だけど、
親が教えてくれたことって、
こういう辛い人生を歩んでいくうえで、とても大きな糧になりました。

「同性愛者である」っていうのは「境遇」です。
「アフリカで生きる」とか「政治家として生きる」なんかと同じこと。
アフリカで生きれば、アフリカでの幸せがあって、
政治家として生きれば、政治家としての幸せがあります。
それを親が決めてしまうのは、ハッキリ言って親のエゴです。
親の一方的な気持ちで中学受験をさせられるかわいそうな子どもと同じです。

親としての幸せは、子どもの幸せを見守ることです。
子どもとしての親孝行は、自分が精いっぱい幸せになることです。

僕は、親に感謝しています。
だから、僕は幸せになることにします。

そして、僕の幸せのカタチは、
セクシャリティを説明しなきゃ伝わらないことが多いです。
だからカミングアウトをしようと思ったわけです。

一方で、親も悩むことになる

とまぁ、ここまで僕の一方的な気持ちでカミングアウトを考えてきたわけですが、
カミングアウトされる親の気持ちも考えろよーってもう一人の僕に言われました(笑)。

確かにそう。

今まで、僕がゲイであることに悩んできて、ゲイである自分を受け入れられなかったわけです。
それを、年老いた親(しかも100%ノンケw)が理解できるだろうか。
受け入れられるだろうか。
僕の悩みを、親に分け与えちゃうことになるんじゃないかと思いました。

でも、それでいい。

僕には恋人がいます。
恋人が何かに悩んでいたら、
僕はそれを聞いてあげたいと思います。
何か力になれないだろうかと思います。
むしろ言ってくれなかったら怒ると思います。
嫌いな人の悩みなんて聞いてもどうも思わないけど(笑)、
好きな人の悩みだったら、一緒に悩んで、一歩一歩進んでいきたいと思います。
一緒に苦難を乗り越えてできるを、僕は知っています。

 

それなら、きっと、親子だって。

 

僕がゲイであることを伝えて、
親子で一緒に考えて悩んで、
一緒にこの苦難を乗り越えて、
素敵な親子関係にしちゃえるかも。

そう思いました。

全ては「幸せかどうか」

ここまで読んでくれた方は、なんとなくわかってくださったと思います。

僕は「幸せかどうか」で考えています。

幸せは境遇や出来事で決まるものではありません。
僕の心が決めるものです。

僕は自分がゲイであることで、
結婚や子育てといった普通の幸せは手に入らないと分かりました。
それじゃあ、そういう形骸化されていない幸せって何だろう、と考えました。
人は、何をもって「幸せ」と感じるんだろう。

幸せについて考えることが多くなりました。

すると次第に、
幸せはそこら中に転がっているということに気付きました。

幸せは、ほんのわずかな愛を見逃さないことです。

そうしていく中で、僕が僕らしくありつづけ、
いつか収まる場所が作られていく気がするんです。
それがたぶん最終的な幸せのゴールなんだと思います。

コメント

  1. […] (両親へのカミングアウト。詳しくはこちらの4つの記事をどうぞ→① ② ③ ④ […]

  2. […] そもそもなんでカミングアウトするのか。 ということについては前の記事「両親へのカミングアウト①~理由~」をご覧ください。 […]