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みんなは虹の絵を、僕だけ夜の絵を描いた

●ゲイの人向け
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はいっ、ということでshoboです。

僕は幼いころから、
自己主張が苦手なんですよー。

自分の意見を誰かに言ったりね、
思ったことや感じたことを表現すること、

すっっごーーーく苦手です(笑)。

この原因はいろいろあるとは思うんだけど、
きっとね、僕がゲイだからっていうのも大きいと思うんだ。

 

だから、
自分の意見を伝えるのが苦手だーっていう人は、
ゲイじゃなくても、
僕の境遇と似たところがあるのかもしれないですね。
今日は、そんな僕の自己表現力について、少しお話します。

 

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僕だけ旅立ちのシーンを描いた

小学校の低学年の頃だったかなー。
図工の時間にね、
ラジオドラマを聞いて、感動したシーンを想像して絵を描く、っていう課題があったの。

これは当時の図工の教科書に載っていた課題だから、
もしかしたら僕と同じ教科書を使ってた人たちは、同じ課題をやったかもね。

魔女のお話だったと思うんだ。

少女の魔女が、家族と離れて修行の身になるんですね。
そして、魔女の宅急便みたいに、ホウキに乗って夜空へ旅立つわけです。
魔女の女の子は、行く先々でいろんな動物たちと出会って、
最後は晴れた日に虹の橋を渡ってエンディング。

そんなお話だったかなー。

図工の教科書には、
あくまでも一例としてね、
エンディングの虹の橋を渡るシーンが載ってたんです。

確かにね、
虹の七色を使って、
青空をバックに、成長した魔女の女の子と、クマさん、キツネさん、ウサギさん、ヒツジさん・・・と、
みんな楽しく虹を渡っているシーンが、
最も映えますよ。

 

でも、僕は違った(笑)。

 

僕はね、魔女の女の子が、ひとりで夜空に旅発つシーンを描いたんですよ。

つまりね、
僕の絵だけ、真っ黒(笑)。

教室の後ろにみんなの絵を飾るんだけど、
みんなに時の絵を描くじゃない?

俺だけ、真っ黒(笑)。
真っ黒な夜空に、真っ黒な服を着た魔女の女の子が飛んでるの。

もう、
黒の絵の具が一気に無くなったwww

 

でもこれね、
今でも覚えてるんだ。
あの時の気持ち。

 

まずね、
僕が旅立ちのシーンに一番感動したのは嘘じゃない。
安心しきったラストの虹のシーンなんて、
ぜーんぜんつまんない。

それより、
これから何が起こるか分からない、
ドキドキとワクワクが1秒ごとに入れ替わるような、
しかも朝とか真昼の旅立ちじゃなくて、夜の旅立ち。
あのスリルと興奮が、とても面白かったんだ。

だけどね、
周りのみんなが虹の絵を描き始めているのを見て、
僕も虹の絵を描いた方がいいのかなーって思ったんだ。

子どもながらに思った。

先生は、きっと僕らに虹の絵を描いてほしいんだ、って。
そして一体感のようなものを出したかったんだろうなーって。

だけどね、
当時の僕は、
薄々、気づいてた。

僕は、みんなとは「違う」ってこと。

小学1年生だったと思うんだよなー、確か。
当時の僕はね、

「みんなと違う絵を描いたっていいじゃないか」
「僕はどうせみんなと違うんだよ!」
「何が悪い!」

って気持ちで描いてた。
うん。覚えてる。

そして、
「みんなと同じじゃつまんない。違うのがいい!」
って無理やり思うようにしてた。

そうやって、
自分がみんなと違うってことを、
自分なりに受け止めようと試みていた気がするんだよな。

これは今の年齢になって分析すると、
なんか小難しい書き方になっちゃうけどさ(笑)、
そんな気持ちが漂ってたことは確か。

 

担任の先生が、
そんな僕の真っ黒な絵を見て、
「うん。上野君はこのシーンがいいと思ったんだね。うん、いいんじゃないかな」
って言ってくれた。
いや、
言ってくれると分かってた。
そう言われることで、
「みんなと違ってたっていいんだ」
って自分自身に思い込ませたかったんだよね。

みんなと違う僕は、自分の表現するのが怖くなっていった

自分の中の「男の子が好き」っていう感情が、バレちゃうんじゃないかって思ったんだよね。
僕が自己表現をすることで。

そりゃそうですよ。
クラスの男の子たちは、みんなドッチボールが大好きでした。
だけど僕は、
「人にボールを充てて楽しむなんて信じられない」
って思ってた(笑)

今考えるとひねくれた子供だよねーwww

でも当時の僕は、本当にそう思ってたんだ。
ボールを当てるなんてかわいそうじゃないか、って。

ボールを当てたって絶対に「よっしゃー!!」なんて思えなかった(笑)。

そうやって、
自分とみんなの中の違いって、
表情やしぐさ、態度に出るんだなーって子どもながら強く思ってた。

だから次第に僕は、
自分を出すことをやめていったんだ。

もしかしたら、僕が男の子が好きだってことも、出ちゃうかもしれない。

って思ったからだ。

友達と話しても、友達の意見を尊重する役回りに

次第に僕は、
自分を出さなくなっていった。

でも何も言わないと、友達もできないし、
「上野はどう思う?」
と聞かれてしまっては、みんなの視線を集めてしまった上に、自分の意見を言わなくてはいけなくなる。
だから僕は、
みんなの意見を聞いて回って、取りまとめる役回りに回ることが多くなった。

つまり、
学級委員だ。

そうすれば、僕は取りまとめる係。
自分の意見を一方的にみんなに押し付けてはいけない。

これはとても楽だった。

そうやって学校での気持ちのバランスを取っていると、
いろいろとストレスが積みあがっていく。
僕はそれを家族に向けてしまっていた。
特に母親と弟に。

これは本当に今でも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
今度実家に帰った時に、また母親に謝ってこよう(笑)。

そんな僕が、ある日「指揮者」になった

中2の合唱コンクールで、
僕は指揮者に選ばれた。

中1の時の指揮者が本当に下手で、
曲に合わせて表紙が取れない、本当の音痴だったんだ。
その人がまた指揮者になってしまいそうだったから、
僕は我慢できずに「自分がやる」と言ってしまった。
指揮者なんて誰もやりたがらないから、
はた目には「立候補」したように見えたもんだから、
クラス中から「おおおぉぉーー!!!」って声が上がった(笑)。

でもそれは、
「自己表現」だったんだ。

今まで自分の感情を表に出すことを極力避けてきた自分が、
みんなの前で「表現」する場を与えられた。与えられてしまった。

これは「ゲイだとバレたくない」という気持ちと、
「この曲はこういう曲だからこういう気持ちで表現したい」っていう気持ちが、
交互にぶつかって、僕の中で暴れた。

そして結果、
僕は校内で「指揮者賞」という、ベスト指揮者に送られる賞を受賞してしまった。
その関係で、中2と中3では入学式でも卒業式でも指揮者をやる羽目に。

これは、
今まで表現を避けてきた自分としては、
みんなの前で誉められる恥ずかしさと、
受賞したという喜びと照れくささと、
自分の気持ちを全校生徒の前で表現する爽快感と、
でもバレたくないという危機感とが、
複雑に入り混じった経験だったなぁ。

やっぱり人は自分を主張したがる

自分の中に「主張したい」という気持ちがあることを、
しっかりと認識した僕は、
この気持ちを抑え込んでいては爆発してしまうと思った。

僕は、表面的に繕うのが苦手だ。
つまり、主張したいのにそれを我慢するのが苦手だということだ。
それならば、僕の心を「主張したくない」という心に塗り替えてしまうか、
上手に主張できるようになればいいと思った。

我慢したら根本的な解決にならないと思ったんだな。

それが、「ギター」との出会いなんだ。

幸いなことに、
ギターは「男っぽい」(笑)。
ゲイだということを十分にカモフラージュしてくれる(笑)。
僕はギターにのめりこんだねー。
それが高じて、友達の結婚式で弾き語りしたり、
今ではライブなんかやっちゃってるし(笑)、
某有名ミュージシャンと一緒に歌って収録したのが、某音楽番組でフツーに放送されたり。
オーディションでグランプリを取ったりもした。

そして、僕も幸せだし、
聞いてくれる人も幸せな顔をしてくれる。

僕は自己主張がこんなに素晴らしいなんて思いもしなかった。

自分の中にあるものを外に出して主張して、
それがみんなに届いて、喜ばれるって経験は、
自分の内面が受け入れられた、っていう強い印象を残す経験なんだよね。

僕はそれを、
幼い時は無意識に、大人になってからは意識的に行ったから、
僕のルーツとしても、最近の意識づくりとしても、
とても大きな役割を担ってくれることになったよね、音楽が。

 

もしあなたが、
今自分の中にあるものを主張できていないのなら、
自分だけじゃなく、周りの人をも幸せにできるかもしれないよ。

そして生きづらい、このゲイの人生。
少しでも楽しく、幸せな生き方にできたら素敵だと思います。
ぜひ挑戦してみてください!

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