上野正卯(うえの・しょうぼう)1979年・千葉県生まれ・ゲイ。 大学卒業後は教育業界で18年。 【趣味】 音楽(ギター・ライブ活動) 蕎麦屋巡り、寿司、肉 ドライブ その他いろいろ お問い合わせはこちらからどうぞ。 |
もくじ
幼児期…いろんなことを知った
- 1979年(昭和54年)0歳
じいちゃんの名前の一文字を取って「セニョリータ」と名付けられる。
父親は大工、母親は主婦。自分は長男だが両親は末っ子のため、
この時点で自分を理解してもらえない環境になる。 - 1980年(昭和55年)1歳
ハイハイをせず、匍匐前進(ほふくぜんしん)で家の中を移動。
その結果オムツの中が大変なことに。
早くも普通とは違う生き方を探り始める。 - 1981年(昭和56年)2歳
イモ欽トリオの長江健次を心からカッコいいと思う。
でもそれは100%片思い。
それを知ってか知らぬか、両親がイモ欽トリオのアルバムを買ってくれる。
メロンの美味しさに衝撃。青肉より赤肉が高いことを知る。
母親と外出先で食事すると決まって「お子様ランチより蕎麦がいい」。 - 1982年(昭和57年)3歳
近所のカッコイイお兄ちゃん(当時12歳くらい)が気になる。
お兄ちゃんが半ズボンを履いてくるとテンション上昇。
将来が思いやられる。 - 1983年(昭和58年)4歳
弟誕生。かわいい。
椅子の上で弟と遊んでいたとき、
テンションが上がりまくって、自分だけ椅子から転落。
それを見た両親が爆笑。なぜか自分も爆笑。
分かったことが、
①泣く理由って意外と「痛い」より「びっくり」
②体を張ると笑いが取れる
イモ欽トリオの曲は、シングル曲よりアルバム曲の方が面白いと知る。
今思えば、計算された転調の美しさや、
例えば「C / Gm7 C7 / FM7 / Dm7-5 」というコード進行の、
Gm7のあたりやDm7-5のあたりが心地よい4歳児。 - 1984年(昭和59年)5歳 幼稚園年少
幼稚園で初めていじめに遭う。
カスタネットでほっぺをつねられる毎日。
そんなことする理由が単純に知りたいと思う。
「悪はギャバンの中にしかいない」という常識が覆される。
スイミングに通い始める。
生まれて初めて「死の恐怖」を感じる。
でも、コーチのU先生(男性・さわやか青年)がお気に入り。がんばる。 - 1985年(昭和60年)6歳 幼稚園年長
デパートのおもちゃ売り場で大声を上げる同年代の児童を見て、母親と話す。
母「ほら見てごらん、トイレ行った靴で歩いた床を服で掃除してる」
俺「汚い」
母「しかも周りの人、みんなあの子のこと見てるよ、ほら。どう思う?」
俺「あんなふうになりたくない」
宇宙刑事に憧れて、押し入れ上段より空中宙返りを試みるも、
脳天より勢いよく落下し、首を捻挫。
経験したことのない激痛を感じ、あまりの恐怖で泣けず。
小学生時代…とにかくいろいろやってみた
- 1986年(昭和61年)7歳 小学1年生
教科書に出てくる「大きなかぶ」が大好きなクラス担任の趣味で、
教室の掃除用具入れの上に謎の巨大カボチャが飾られる。
そのクラス担任が大掃除で巨大カボチャを持ち上げて掃除中、
掃除用具入れにホウキを戻そうとした私の頭に、その巨大カボチャが落下。
真っ二つに割れる。自分の勝利。 - 1987年(昭和62年)8歳 小学2年生
近所の友達と遊んでいたとき。
尿意をもよおす。でも遊んでもいたい。尿意が高まる。でも遊んでもいたい。
強烈な葛藤の狭間で戦った結果、尿意が勝利。
ゲゲゲの鬼太郎ごっこで、
買ってもらったばかりの下駄を飛ばして遊んでいたら、
10m先の子どもの眉間にクリティカルヒット。
顔面流血騒ぎで、ご近所大混乱。
帰宅後、テーブルの上にあったポテチを血まみれの手で食べていたら、
母親がそれを見て驚愕。そして息子の冷静ぶりに激怒。 - 1988年(昭和63年)9歳 小学3年生
クラスの席替えで、ヤクザの息子(同級生)が自分の前の席に。
ある日の授業中、そいつに足を踏まれ続けるといういじめを受ける。
静かに泣きながら耐えること20分。
耐えかねて、泣きながら両手で机をバンと叩き、立ち上がって睨みつけ、叫ぶ。
「ふざけるな!いいかげんにしろ!!」
突然のことに授業が中断。クラス中が自分に注目。
それ以降、そいつとは仲良しに。
自宅庭に大きな穴を掘り、地下に秘密基地を作る計画が両親にバレる。
「家が傾くからやめなさい」→断念。 - 1989年(昭和64年・平成元年)10歳 小学4年生
大人の快感を覚える☆
夏、友達8人と隣村まで冒険。
ザリガニ釣りをしたり自転車で駆けまわったりする。
夕方、帰り道が分からなくなる。
泣き始めた友達を落ち着かせたり、みんなで協力したりして、なんとか帰宅。
全身泥だらけで帰宅した息子に、母親激怒。 - 1990年(平成2年)11歳 小学5年生
鉄道模型にハマる。
理想の鉄道模型レイアウトを完成させるため、計画を立てる。
月500円のお小遣いで60年かかることに気づき、驚愕。
友達との約束を破ってしまい、クラスで孤立するようになる。 - 1991年(平成3年)12歳 小学6年生
友人宅で偶然耳にしたCHAGE and ASKAにハマる。
音楽への興味が一気に広がる。
ラジカセを手に入れてテレビの音楽番組を録音しまくる。
「しーっ!静かにして!」→(録音ボタンと再生ボタンを同時にガチャッ)
中高生時代…自分の在り方を探し始めた
- 1992年(平成4年)13歳 中学1年生
弁当に入っているウインナーとミートボールと昆布を並べて爆笑する毎日。
抑圧された性欲が、少しずつ変な方向で発散され始める。
同じ水泳部の女子の先輩に告白されて、付き合う。
脱ホモできるかもしれないという淡い期待。
一方、男子の先輩たちのモッコリが気になる。
男子の先輩たちと仲良くなる技術を習得。かわいがってもらう。 - 1993年(平成5年)14歳 中学2年生
なぜか女子の先輩とのお付き合いは順調。
でも自分としては、仲良くお話することくらいで、気軽。
今考えるとすごく失礼。ごめんなさい。
当然、別れる。
でも「人から好かれるって素敵なことだなー」と、なんとなく思う。
YAH YAH YAHという曲に衝撃を受ける。
音楽で気持ちってこんなにも沸き立つものなのかと感動する。 - 1994年(平成6年)15歳 中学3年生
反抗期のピーク。
部屋をきれいに片づけて、何もなくなった机の上に置き手紙。
両親に思いの丈をぶつける。
食料をリュックに詰めて、地図とコンパスを手にして、
深夜2時に家のベランダから電柱に飛び移り脱走、チャリで家出。
でもその日の夕方には帰宅。
中学校の選択科目で希望調査。第1希望から第4希望まで記入。
なぜか第4希望の音楽になる。
やる気ゼロで音楽室に向かい、そこで出会ったのがアコースティックギター。
なぜか、ハマる。
コードを覚えて、流行りの曲を片っ端から弾きまくる。
同級生にスゴイスゴイと言われ、気持ちよくなる。
どうやら俺は気持ちいいことが好きらしい。 - 1995年(平成7年)16歳 高校1年生
孤立していた中学時代が嘘のように、
高校ではクラスの中心的な男子の一人になる。
みんな仲良く毎日爆笑クラス。
女の子から告白される。断る。
人生レベルの親友ができる。
中学の時とは比べ物にならないくらい分かりやすく英語を教える教師と出会う。
「中学校の先生はなんであんなに小難しく教えたんだよ。だったら俺が教える」
教師を自分の将来に重ねる。 - 1996年(平成8年)17歳 高校2年生
同級生と一緒に、浅草の花やしきまでサイクリング。
ジェットコースターにだけ乗って帰るという意味のなさに興奮。
部活のない日は、友達と食べ放題のお店に行ったり、
カラオケに行ったり、公園で語り合ったりする。
短期留学でオーストラリアへ行く。
中学時代のネガティブな自分が出る。
ゲイである自分の将来を不安に思い始める。 - 1997年(平成9年)18歳 高校3年生
オーストラリアからの短期留学生を自宅に迎える。
我が家に来たのは香港出身のジャッキー。
梅干しを食わせてリアクションを見る。
うなぎを食わせてからうなぎの写真を見せてリアクションを見る。
家族ぐるみで楽しむ。
十二指腸潰瘍で入院。
原因は当時まだ珍しかったピロリ菌。ネーミングが憎めず、困る。
現在は全て除菌済みで食べすぎるくらいに治っている。
大学生時代…ようやく将来を考え始めた
- 1998年(平成10年)19歳 大学1年生
大学に合格し、スーツ、革靴、全部新品で揃え、
翌日に大学の入学式を控えた日。
朝、目覚めてからジャージ姿でずっとドラクエⅤ。
夕方になり、父親が帰宅、言われた。
「明日は入学式だろ。時間とか場所とか、大丈夫なのか?」
かったりーなーと思いながら「うん」とだけ返し、
入学式の案内書類に目を通した。俺「・・・。」
父「・・・どうした」
後で聞いたことだが、この時、
俺の顔が急激に青ざめていたらしい。
俺「入学式、・・・今日だった」
父(爆笑)
俺「笑い事じゃない!!」そこから慌てて大学に電話。もう夜7時前。
電「はい、○○大学です」
俺「あの、新一年生の○○と申します。
実は、・・・今日の入学式に行きそびれてしまったんです!
今日ど~~~しても外せない用事が入ってしまいまして」
(ドラクエⅤやってた)
電「あ、入学式はただのセレモニーなので、大丈夫ですよ。
その代わり、明日のガイダンスには必ず出席してください」
俺「ハイ!か・な・ら・ず!」
その直後、ゲームがあると自分がダメになると思い、
家にあったゲーム機をすべてゴミ袋に入れて集積所に持っていった。
すると後ろから弟が「お兄ちゃん待って!それ捨てるなら全部僕がもらう!」
昔からチャッカリしてんだよ、あいつは。 - 1999年(平成11年)20歳 大学2年生
いろいろなアルバイトをやる。
ファミレスのホール、セ▽ンイレ▽ン、ユニク○、家庭教師、税務署。
・・・税務署!?
と言われたいためだけに、税務署でバイト。
歳の割には税に詳しくなる。 - 2000年(平成12年)21歳 大学3年生
大学の身体検査。
検尿をするため、友人たちとトイレへ。
友人の一人が「小便がすぐ出るツボが、・・・ケツにある」と発言。
その真実を突き止めるべく、急遽、討論会が始まる。
終始、胸がザワつく。
大学の友達とオールナイトでカラオケに行ったり、ビリヤードに行ったり、飲んだり、語り合ったり、
学生らしく遊んだ1年間。 - 2001年(平成13年)22歳 大学4年生
教育実習で心を折られる。
がんばって授業を進める自分に、生徒が気を使い始め、自己嫌悪。
理想と現実の大きすぎるギャップに、心が重く苦しむようになる。
それが自分の不甲斐なさをさらに決定的なものにする。
俺は教師になれない。
更にゲイであることも重なり、子どもも残せない自分に、
生きている価値が果たしてあるのだろうか。いや、まったくない。ゲイとしての生き方、自分の生き方、俺の生き方。誰が手本を示してくれるわけじゃないけど、
もう少し何か「すがるもの」があってもいいんじゃないか。
目の前の友達も、大学卒業して、就職して、彼女と結婚して、
子どもができて、ローン組んで家買って、
お嫁さんと二人で子どもの成長見守って、
幸せに暮らすんだろうな・・・。俺はどこへ行くんだろう。
どんな顔をしてんだろう。
ゲイって、みんなどうやって生きてるんだろう。あの頃、人生で一番悩んで、苦しんで、もがいていたけど、
これがあったから、今が楽しいと思えている。
しっかり生きていくために、必要な沈み込みだったのだと思う。
結果論だけど。
社会人20代~ゲイであることを受け入れる~
- 2002年(平成14年)23歳
この頃から「のれんにうでおし」という自分のホームページ(今でいうブログ)を持つようになる。
これが随分と長く続く。
このホームページを通じて、随分と多くのゲイと出会う。
同じ悩みや苦しみを抱えた仲間が、世の中にはこんなにたくさんいるということを知る。 - 2003年(平成15年)24歳
偶然、地元でやっていたゲイのスイミングサークルに入る。
断っておくが、変な意味はない。
活動日の毎週日曜日になると、どこかへ出かけていく息子を見た母親、
「アンタ、変な宗教にでも入ってるの?」
「宗教ではないが、同じ志を持っては、…いる」
ゲイの友達づくりイベント「ピアフレンズ」に初参加。
12月20日の開催だったが、変な意味はない。
同年代の人たちに「ゲイである僕と仲良くしてくれる」という経験が、
こんなにも満たされる気持ちになるんだ・・・と身に染みて実感。
この頃、なぜか地元にある普通の手話サークルに入る。
周りはおばちゃんばっかり。その中、若い男が自分だけ。
完全にアウェイになると思いきや、思いの外おばちゃんたちとスーパー仲良くなる。 - 2004年(平成16年)25歳
ゲイに初恋。
告白するも砕け散る。
ギターを始めて10年を記念して、
一生モノの高価なギターを購入。
「10年続きゃずっと続くっしょ」
手話サークルでレク係を担当。
新宿都庁への遠足を企画する。
南北タワーに分かれて登り、それぞれの展望台からお互いに手話でしりとりをするというバカげた企画が大ウケ。
ゲイ友達を通じて知り合った人に、告白されて付き合う。
人生初めての彼氏。
わずか2ヶ月で別離。
別れるときに言われたのが「一緒に居ると疲れる」
新規趣味「サイクリング」参入。 - 2005年(平成17年)26歳
子どものころから買っていた犬が他界。
あいつの匂いだけが、空っぽの庭に残る。 - 2006年(平成18年)27歳
実家を出て、一人暮らしを始める。
あらゆることをひとりでやってみたい症候群になる。
ひとりでメロン1玉を食べ、人生最高の幸福感に包まれる。
夜中にラーマンが食べたくなり、自作を試みるも、悲惨な結果に終わる。 - 2007年(平成19年)28歳
塾に耳の聞こえない生徒さんがやってくる。
こんなところで手話が役立つなんて思ってもみなかった自分。
この頃、ホームページなどを通じていろんなゲイの友達との交流が増え、
いろいろ勉強させられる。
性指向は本当に小さな要素に過ぎなくて、
結局はそれとともにどう生きるかという方が数百倍大切でおもしろいことなんだ、とようやく実感。 - 2008年(平成20年)29歳
実社会に出て生きていく卒業生が増えてくる。
中には、自分を慕ってお茶や食事に行く卒業生も。
自分が世の中にどんな影響を及ぼしているのか、目の当たりにする。
変態な教育はそこそこにしておかなければならないと痛感。
人生で2人目の彼氏ができる。
一緒にサイクリングや旅行に明け暮れる。
埼玉在住の彼は、やたらと埼玉の魅力を伝えてくる。
特徴も海もない埼玉県民は、みんな魅力を探してそれを認めたがる。
実はこれはとても大切なことで、
僕は僕の魅力に気付いているのだろうか。
一見魅力的に映らないものでも、よく知ればその面白さはきっと見つかるはず。
恋愛を通じて、自分の成長を感じる。
新規趣味「そば打ち」参入。
人生観の30代~ゲイと音楽と幸福論~
- 2009年(平成21年)30歳
ある日、左手の手首に謎の突起物が現れる。
病院で緊張の精密検査を受ける。
医師「これはガングリオンです」
自分「ガ、ガングリオン!?」
ただの良性の腫れ物に似合わぬ名称に、しばらく興奮が冷めず。
会社の指示で、岩手県の山中に1週間ほど籠る自己啓発研修に参加。
評判の良い研修だったのだが、
その内容が、当たり前のことばかりに感じたため、
身についた能力は「演技力」。
「この研修は僕にとって人生の宝物になりました」 - 2010年(平成22年)31歳
田舎にある教室の教室長に就任。
田んぼの真ん中にあり、生徒数が少なく、つぶれそうな教室。たまらなく不安になる。
しかし、いいスタッフに恵まれ、大切に育んでいこうと思う。
彼氏と伊豆大島へサイクリング旅行、宮古島へ社員旅行。
いろいろと旅行しまくりの1年。 - 2011年(平成23年)32歳 東日本、ステファン、チャスナイ初参加
教室で会議中に東日本大震災に遭う。
幸い、教室は本が散乱する程度で済むが、唯一の鉄道の駅が破壊され、帰宅の足を失う。
教室に迷い込んできた1匹のアマガエルを捕獲。飼う。
名前はステファン。
エサのコオロギを100匹単位で購入した自分を冷静に見つめ、引く。
楽器を持って弾いたり歌ったりしてみんなとセッションする、面白いバーに行く。
そこで人生初の音楽仲間ができる。
ギターを始めて17年目にして、初めて音楽活動を開始。 - 2012年(平成24年)33歳
4年続いた彼氏と別れる。
周りからはお似合いだと思われていたようだが、内情は違った。
外から見える景色と、事実は、こうも違うもの。
どうやら僕は、彼の求める理想像に応えられなかったらしい。
続けられそうにないなと思いながら1年ほど過ごしてきた僕も悪い。
これから運命の人にどこで出会うか分からない。
でも出会った時に、運命の人の目に留まるような自分で居ようと思う。 - 2013年(平成25年)34歳
田舎の教室を運営して3年。
表面的な営業活動と、本質的な教育活動を、それぞれパワフルに行い、そしてバランスよく融合させ、
生徒数を3倍以上に増加させる。
自分の中にある価値観と具体的な行動が、しっかりと具現化され、快感。
そして市街地の教室へ異動。
教室の立て直しを命じられる。
音楽活動も充実。
3人組のユニットを結成。
最初はイヤイヤやっていたが、ウケると分かると手のひらを返したように喜ぶ。
ギターの弾けるゲイと会い、付き合うこととなる。
実はこれが今の彼氏。もうだいぶ長い。
キッカケなんてこんなもん。年月は関係ない。
中身を充実させていきたいと願う。 - 2014年(平成26年)35歳
3人ユニットのライブが一気に増える。
自分自身のライブも、音楽仲間のサポート役も、いろいろ充実してくる。
彼氏が描いた同人誌のイベントも成功。
仕事も趣味も充実していく一方で、気持ちは逆に慎重になっていく。
新規趣味「寿司」参入。 - 2015年(平成27年)36歳
同じ塾業界内での転職。総務に就く。
名刺やチラシのデザインについて勉強。
多方面への広がりを見せ始める。
こういう時は慎重になりつつも、流れに乗った方がよい。
この頃より、
自分のやりたいことが少しずつ明確化し始める。
自動車免許取得。
今まで車酔いするほど車が大嫌いだったのに、
一気に好きになる。
この操縦してます感がたまらない。でもオートマ。
新規趣味「ドライブ」参入。 - 2016年(平成28年)37歳
総務として、いろいろな教室に出向いて働くことが増え、
結果として多くのスタッフや生徒保護者と接することとなる。
彼氏と人生初のアイススケート。
実はウィンタースポーツが大嫌い。
なぜ寒い中をわざわざ外に出て動かなきゃならないのか、いまだに理解に苦しむ。
いざやってみると、まぁこれが面白いほどうまく滑れない。
そんな自分の横をスイスイ滑っていく彼氏を見て、本気で殴りたくなる。 - 2017年(平成29年)38歳
ある教室の教室長が倒れ、入院。自分が代理教室長に。
そして、そのまま3年教室長をやらされる。
塾業界へは後ろ向きに。
自分の人生には前向きに。 - 2018年(平成30年)39歳
今までの人生を振り返り、
ここには書けないような苦しみを乗り越え、
今までのすべての出来事が愛おしく思えてくる。
自分の大好きな人を一堂に集め、ライブフェスを実施。
幸せとはどういうことか、やっとわかり始める。
20代のころから通っていた、やる気のないステーキハウスが閉店。
そこは大人になって初めての「行きつけの店」。
やる気のないおばちゃんが焼いたステーキは、すばらしく旨かった。
彼氏と同棲スタート。 - 2019年(平成31年・令和元年)40歳
3人ユニットで、ふざけて応募したコンテストでグランプリ受賞。
マジもんの音楽フェスのオープニングアクトを担当する。
その流れで、某民放有名老舗音楽番組に、大好きなミュージシャンと出演。