「ホモ」って呼ばれたくない理由

異性愛者・非同性愛者・ノンケ・ストレート・ヘテロの方へ

僕は男性同性愛者です。いわゆる「ゲイ」です。
僕は自分で自分のことを「ホモ」って言うことはあまりないかな。
でも僕の彼氏は「ホモ」って言うこともあるし、それで嫌な思いはあんまりしないかなぁ。
その辺どうなんだよー!って社会の皆さんは思うんでしょうね(笑)。
そしてそういうよく分からない部分が、ゲイに近づきにくくしている要因の一つでもあったり。

つまり、その辺どーゆーことなん!?っていうのをまとめましたw

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「ホモ」発言は「デブ」発言とほぼ一緒

突然ですが、あなたは、
太っている人に「デブ」って言えますか?

これって場合によりますよね。
「ホモ」も、それと同じです。

まず言う側のキャラですよね。
そういうことが言えるかどうかという自分のキャラ。
ダウンタウンの浜田さんとか、有吉さんが言うんだったら成り立つけど、
安倍総理が言ったら成り立たないです(笑)。

あと言われる人のキャラにもよりますよね。
ホンジャマカの石塚英彦さんなら笑いになるけど、
泉ピン子さんだったら、・・・まぁ凍り付きますよね(笑)。

だけど、上記の安倍さんが泉ピン子さんに向かって言ったとしても、
この二人がもう大の大の大親友で、
何言っても言われても仲良くしているようなふたりなら、それはそれでありじゃないですか。
でも世間のイメージからしたら、ちょっとどういう空気感になるのかビクビクしますね。

「ホモ」も結局のところはそんな感じだと思います。

例えばゲイバーなんかで、
かわいらしいゲイの子を見て「私もあんなホモになりたいわぁ~」って言う人もいるし、
その言われたゲイの子が謙虚に「いやいや、僕なんてただのデブなホモですからw」って言うこともある。

やっぱその場の空気感とか、信頼関係かなーって思います。

例えば学校の廊下で、
すれ違いざまに、

「デブ」

って言われたらムカつきますよね(笑)
でも仲良くじゃれ合いながら「お前はかわいいデブだなぁ~☆」って言われたら嬉しかったりもする。
それも受け取る人によるし。

やっぱり言葉って、
言葉だけを投げたり受け取ったりするんじゃなくて、
その下にあるその人の「気持ち」で、
喜んだり悲しんだりするんですよね。

言葉は、結局は心を見る、ひとつの窓でしかない。

その言葉から、この人がどんなことを考えている人なのかを、感じ取ります。
だから、まずは差別的な気持ちを持たないことです。
そして、相手のとの信頼関係を大切にしたいという思いも必要です。
そういう仲でありつつ、空気感を見て、
「デブ」とか「ハゲ」とか「ホモ」っていう言葉を使っていけばいいと思います。

心配な人は使わない方が無難ですけどね♪

言葉をどんなに飾っても、
伝わるのは、心です。

とはいいつつも、
言葉を気にする人は気にします。

そういう人が、どうしても「ホモ」という言葉を気にしてしまう理由を紹介します。

気になる理由①:「ホモは差別用語だ」という見方

まずひとつめは、
もう「ホモ」=「差別用語」という意識を強く持っている場合です。
僕はそういうタイプじゃありません。
上に書いたように、使い方によっては仲良くなることもあるし、
笑いを取ることもできる、多様的な使い方ができる言葉と思っています。

だけど、
そういう人ばかりではありません。

これはどっちが良いとか悪いとかっていう話じゃなくて、
そういう意見の人、考え方の人がいるということです。

世の中にはいろんな考え方の人がいます。
僕はゲイで、自分の存在を社会的に求めてほしいという気持ちがあります。
自分を認めてほしいと思っているゲイの僕は、
いろんな考え方や在り方を、
なるべく感情的に排除するんじゃなく、
「そういう人もいるんだな♪」「なるほど、それも確かに一理あるな」
とか、フラットに理解したいという気持ちがあります。
だから「ホモ」という言葉を「これは完全なる差別用語だ」と思う人がいてもおかしくないです。
実際、そう思っている人は、そう思うに至った経緯や人生経験があったはずです。

つまり、
「ホモという言葉自体、もうそれは差別的な表現だから使うべきじゃない」
という考え方を持っていると、
とにかく世の中の「ホモ」という言葉に、ネガティブな反応をしてしまいます。

ゲイの中にはそういう人もいるので、
安易に使うべきじゃないというのは、理解できます。

気になる理由②:保毛尾田保毛男がトラウマになっている

僕はこれ、ちょっとあります(笑)。

確か小学生の頃だったと思います。
テレビで気持ち悪いキャラクター「保毛尾田保毛男」が出てきました。
家族と一緒にテレビを見ていた小学生の僕は、
一瞬で心がギュッと鷲掴みされたような気持ちでした。

「僕は、こんな、変態なんかじゃない・・・」
「でも、もしかしたらこんな大人になっちゃうんじゃないか・・・(涙)」

でもここで急にチャンネルを変えたら、家族に怪しまれてしまう。
だから、泣きたい心をギューーーッと潰して、
全力で笑って見せたものです。
本当に頑張って、笑って笑って。
もう、家族を家族だと思えなかったもんなー。

そして翌日の学校。
クラスでは「昨日の保毛尾田保毛男!見た!?気持ち悪かったよなー!!」と話題になります。

朝、登校して、
この光景を見た瞬間、僕の心は身構えます。

そしてすぐさま僕は
「見た見た!面白かったよなー!!!」
って言ってみせるんです。もちろん、心では泣きながら。
でも、「気持ち悪かった」という言葉を使わず僕は「面白かった」という言葉を使いました。
たぶん、せめてもの自分への整理の付け方なんでしょうね。
自分で自分を気持ち悪いと言ってしまうのが、いたたまれなかったんだと思います。

僕は、孤独でした。

「家族の中にいても、学校のクラスにいても、
本当の僕を、優しく分かってくれる社会は、どこにもいないんだ。」

そう思った出来事でした。
初めて「この世から消えて楽になりたい」って思ったのもこの頃かな。

それから僕はなんとか自分を奮い立たせて強くなっていったと思いますが、
そういうことができるゲイばかりではありません。
僕でさえ、あの頃の苦い思い出は、今でもはっきり心に残っています。

僕はトラウマっていうほどではありませんでしたが、
今でもトラウマレベルで心に残っている人はいるんじゃないかな。
そういう人は、やっぱり「ホモ」っていう言葉に反応しちゃうと思います。

 

ちょっと話は変わるんですが、
僕が小学校の低学年だった時、
クラスに、家が火事になった女の子がいたんです。
それでその子がね、
教室で普通に授業を受けているときに、
遠くで消防車や救急車のサイレンの音が聞こえると、
急に取り乱して泣き出しちゃうんです。

彼女にとってのサイレンって、
家の火事を消してくれるヒーローなんかじゃない。
自分の過ごした家が燃えて変わっていってしまう音なんです。

サイレンは悪くない。
でもそのサイレンで辛くなる人がいるのは事実なんです。
もちろん、社会でサイレンを無くすことはできません。
彼女はあれから転校してしまいましたが、どうやってサイレンのトラウマを乗り越えたのか。
僕の知るところではないですが、きっと大変辛い中での努力をしたことだろうと思います。

だから「ホモ」という言葉を聞いて、
辛くなる人が一定数いるなら、
これは社会の取り組みとして、考えなきゃいけないなとも思います。
言わなくても生きていけるなら、別の言い方をしてもいいんじゃないかな。

もちろん、
僕が「ホモ」と言われても傷つかないくらい強くなるという選択肢もあります。
それを選ぶのは、言われる側の僕の自由です。
個人的には、
「言う側は言わないようにする」&「言われる側は強くなる」
ダブルアタックだと思います。

歩み寄りですね。

結局、平和は「我慢と歩み寄り」。
自分の意見と同じくらい、
相手の意見を大切にできたらと思います。

【結論】つまりは信頼関係です。

結局はやっぱり「言葉の問題」じゃなくて「心の問題」なんだと思います。
言う側も。言われる側も。

そして基本は「デブ」発言と同じ。
言う側、言われる側、それぞれのキャラ。
そして「信頼関係」です。
それによって「ホモ」という言葉で、仲良くなることも、仲が悪くなることもあります。

そして自信がない人は、ご使用を控えた方が良いかと思います(笑)。

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