ということでshoboです。
これを読んでいるゲイの皆さんは、
女性と付き合ったことってありますか?
僕は、あります。
今は男性と付き合っている僕ですが、
女性と付き合っていた時期もありました。
その辺について、僕の体験を踏まえながらお話ししたいと思います。
中1~2の時、同じ部活の先輩の女子とお付き合い
小学校の高学年には、もうすっかり男子に興味があって(笑)、
もう本当に興味津々でしたねー(笑)。
でもそれと同時に、
やっぱり思うんですよ。
「僕はホモになりたくない」
「僕は変態なんかじゃない」
ってね。
そんな時、中学に進学して水泳部に入った僕は、
中3の先輩たちが受験のために夏休みで引退した時期に、
中2のA先輩(女子)から告白されます。
最初はお手紙をもらったのかな、確か。
その時の僕の気持ちは、大きく2つありました。
①「僕も女の子からラブレターをもらうくらいの男になったんだなー♪」
という嬉しい気持ち
②「女の子と付き合えば、女の子に魅力に気づいて、ホモじゃなくなるかも…」
という期待の気持ち
当時、何も情報がなかったし、
ネットがあっても、検索窓に「ホモ」「同性愛」って打ち込むことすら怖かったと思います。
そのくらい、僕は何にも知らなかったからなー。
それで、これらの2つの理由から、そのA先輩とお付き合いをすることになったんです。
年上だったけど、年上って言っても中2。14歳です。
そんなに恋愛経験が豊富なわけでもないでしょう。
男子と付き合うって言っても、何をしたらいいのかとか、お互いあまりよく分かりませんでした。
部活で一緒に喋ったり、ちっちゃなお手紙の交換をしあったり、そんなお付き合いでした。
バレンタインになり、手作りチョコをもらったんですね。
なんか男として誇らしい気持ちになったのは強く覚えています(笑)。
嬉しいんですよね、やっぱり。
でもさ、
そのA先輩からの「好きだよ」って気持ちは、嬉しいは嬉しいんだけど、
好きなミュージシャンのCDを買った時より小さかった。
「女の子から好きって言われるのって、こんなものなのかなぁ」
って不安になりました。
それから数年後に付き合った彼氏から「好きだよ」って言われた時の気持ちが(笑)、
まぁすごかったすごかったwww(笑)
A先輩からの「好きだよ」が10としたら、
彼氏からの「好きだよ」は5000くらい(笑)。
誕生日とかには、
尾崎豊の「I LOVE YOU」のCDをいただきました。
この頃になると、
「僕はやっぱりA先輩を、女の子を好きになれない…」
っていう、
なにか決定的なものが大きく肩に圧し掛かっていました。
A先輩の好意は、もう苦しみでしかなかった。
ツラかった。
「もう僕は同性愛者として生きていくしかないんだ」
って覚悟を決め始めた頃です。
結局、僕はフラれました。
A先輩も、僕が積極的じゃないことでイライラしていたし、
僕からの気持ちを確認できないことが苦しかったんでしょうね。
A先輩にフラれたことで、
ストレートの男子を演じるツラさから解放された解放感と、
「お前はホモなんだ!」っていう、何か太鼓判を押されたような、深い絶望感が、
同時に僕を襲ってきました。
先輩には申し訳ないことをした
申し訳ないことをしたと思います。
完全に僕に利用されたんですからね。A先輩は。
僕がストレートの男性として生きることができるかもしれない、どうなんだ!?
っていう実験に付き合ってもらったような、
本当に申し訳ないことをしたと思っています。
でも逆に言えば、
大人になってからこういうことにならなくてよかったなとも思います。
これは今になって思うことですけどね。
大人になってからだと、失うものがいろいろと多すぎる。
いろんな人への迷惑も掛かってしまうし、
彼女のご両親、僕の両親、周りの結婚への期待、など、
もっともっと苦しいことが待っていたはずです。
かといって許してくれとは思わないけど、
申し訳ないことをしたと、本当に心からそう思います。
女性から告白されたらカミングアウト
このA先輩との一件があってから、
ありがたいことに、何人かの女性から告白されることがありましたが、
すべてお断りするのと同時に、
僕はゲイなんだ
ということをできるだけ伝えるようにしています。
だってね、
僕に告白してくれる女性は、
勇気を出して告白してくれているはずです。
気軽に告白してくる人には(笑)、僕もカムアウトしませんけど(笑)、
真剣に交際を申し込んでいただく場合は、
僕も、せめてその気持ちに精いっぱい応えるつもりで、
真剣に「僕は同性愛者なので、女性とお付き合いできないんだ」となるべく伝えるようにしています。
真剣な気持ちをはぐらかすように、なにか理由を取ってつけてサラッと断ると、
悪いもん。
女性とお付き合いすることへの考え方が変わりました
このA先輩との一件があってから、
「僕は女性と付き合えない」じゃなくて、
「僕は女性と付き合うべきじゃない」と思うようになりました。
つまりは、
「僕は女性と結婚できない」じゃなくて、
「僕は女性と結婚するべきじゃない」という考え方です。
僕は中学生当時、
「結婚して幸せになる」っていう「幸せ像」が頭の中にありました。
でも僕が結婚できないこと、女性と付き合えないこと、が少しずつ、そして確実に分かってくると、
僕が無理に女性と付き合うと、
自分が苦しむだけじゃなく、
相手の女性も苦しむことになるということが、とてもよく分かりました。
実際に、目の前のA先輩が、
僕を見るまなざしが怪しむ感じというか、疑念というか、何かが違うっていう目や態度っていうか…。
それを嗅ぎつけられた時に、自分もそれは嫌だけど、
それを知った相手の女性も、深く深く傷つくな、って、
中学生の僕でさえ、簡単に分かりました。
だからね、
僕が無理して女性と結婚しても、
僕も苦しむ。
相手の女性も苦しむ。
そしたらその間に生まれてくる子供だって、きっと苦しむ。
・・・いったい、誰が幸せになるんだろう。
そう思うようになりました。
そこで中学生の僕は気づいたんです。
幸せになるために結婚するのであって、
結婚するために生きてるんじゃない。
暴力夫から逃れて幸せになるために離婚する夫婦だって、世の中に入る。
「結婚」=「幸せ」
なんかじゃない。
幸せは、自分の心の行く道にあるんだ。
って思いました。
幸せがなんなのか。
気付かせてくれたA先輩。
本当にごめんなさい。
そして、ありがとうございました。
コメント
[…] 詳しくはこちら「ゲイが女性と付き合うことは罪か」 […]