僕は学習塾で働いてるんだけど、
保護者面談とかしてるとね、
母子家庭とか父子家庭という親子がいます。
それを、中には後ろめたく思っている人もいて、
そして、そういう人をかわいそうな目で見る人もいて。
そんなこと思うんじゃないぞ。
って気持ちが僕の心をよぎるんだけど、
じゃあなんで不幸じゃないと言い切れるんだろう?
当事者は、後ろめたく思っちゃいけないの?
周囲は、かわいそうな目で見ちゃいけないの?
今日はその辺についてお話してみようと思います。
家族=しあわせ・・・??
僕はゲイで、
一般的な核家族を作ることはできません。
作る方法はもしかしたらあるのかもしれないけど、
まぁ、一般的には作れませんわな。
だからね、
この仕事を始めたころは、保護者面談とか三者面談をしてるとね、
ちょっと羨ましくも思ったりしたわけよ。
だけど、最近は違う。
ニュースとか見てると、
親が子の命を奪ったり、子が親の命を奪ったり、一家心中したり、いろいろあります。
親が、犯罪を犯した息子に「お前はもううちの息子じゃない!」って言ったり。
そういうのを見てるとさ、
「家族ができれば、ハイ、みんなしあわせ~」
ってわけじゃないんだなーって思ったんだよね。
一方、
離婚してシングルマザーで子ども3人を養ってる家族とか、
長男の高校生がアルバイトして家計を養ったりして、
みんなで協力して、下の子たちの受験を心配したり助け合ったりして、
しかも楽しく笑ったりしているのを見るとね、
「幸せ」って、
スタイルで決まるものじゃない。
って思うんだよね。
離婚はしあわせ
むしろね、
冷静に考えるとさ、
離婚って、幸せになるためにするんだよね。
状況によって理由も様々だから、単純には言えないんだろうけど、
例えば「DVに苦しむ妻が、子どもを連れて家を出る」っていう行動はさ、
「幸せになるため」の行動なんだよ。
子どもが嫌いな父親が、
子どもの親権を母親にあげて独り身になることは、
その善し悪しは賛否両論あるとしても、
今ある現実の不幸から解き放たれることなんだよ。
夫が浮気をして、妻は夫を信用できなくなった。
そんな夫と一緒に居ることは苦しむこと。
それなら別々に生きた方が生きやすい。
うん。やっぱり不幸から降伏に向かうおkとなんだよね。
だから「離婚」っていうのは、不幸なんかじゃない。
むしろ、逆だ。
「幸福に向かう舵切り」
って思うわけ。
しあわせは他人に決めてもらうもんじゃない
つまりね、
自分が幸せか不幸かっていうのは、
外から見たら、かんっっっぜんに分かんない!!ってことなんだよねー。
他人にどう思われようが、どう見られようが、
本当に幸せかどうかは、自分にしか分かんないんだよね。
芸能人の夫婦で、夫が浮気してさ、
スポーツ紙とか週刊誌とかワイドショーとか芸能人のご意見番がいくらギャーギャー騒いだって、
それが幸せだと感じる夫婦だっているかもしれないんだよ。
例えばさ、
もう夫婦の仲は冷え切っていて、離婚するきっかけを探している最中だったとしたら、
いいキッカケじゃないか。
古いかもしれないけど、
「男の浮気は芸の肥やしですから」
って思う女性だって世の中にはいるんだから。少ないかもしれないけど、いるんだよ。
だから、
幸せっていうのは、
他人の口で語られるものじゃないんだ。
自分の心が決めるんだ。
だから、母子家庭だろうが幸せだと思ったら幸せなんだよ。
家族3世代大家族だったとしても、
憎しみあっている家族だっているんだよ。
幸せは「スタイル」によって決まるものではない。
やっぱり、自分の心が決めるんだね。
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